道元禅師の修行観 ―龍泉院参禅会会報誌『明珠』第八〇号発行に寄せて―

智源寺専門僧堂 堂長
高橋信善

龍泉院様の参禅会が五十年もの長い期間、参禅修行を続けてこられたこと、またその内容において、他の参禅会などと比較しても比類なきことを考えるとき、拙文を掲載させていただくのは恥ずかしくもあり、会報誌に泥を塗ることになるのではないかと危惧している処です。

しかしながら、明石直之住職の師匠でもあり、龍泉院様に紹介させて頂いたご縁に従い、愧汗も顧みず駄文を寄稿する次第です。

拙衲は曹洞宗の専門僧堂をお預かりしている関係上、一年の内で夏三か月、冬三か月間を修行僧と共に禁足(原則的に外泊禁止)して、より厳しく修行することになっています。この期間を夏安居(げあんご)、冬安居(とうあんご)といいます。その安居期間中に修行僧のトップとして修行僧をけん引していく役目を果たす「首座」(しゅそ)という役を担う修行僧を選びます。その首座が安居期間中に修行僧と問答を戦わす「法戦式」(ほっせんしき)という行事があります。拙納はその首座へのせめてものお祝いに「賀偈」(がげ)として、慙汗ながら七言絶句の漢詩を作り、墨書して贈ることにいたしております。今夏の祝偈は下記のように作りました。

釋 迦 文 佛 涅 槃 梅
少 室 承 陽 鐵 漢 開
本 行 拈 華 白 山 道
紅 蓮 微 笑 密 参 来

釈迦牟尼仏のニルヴァーナの梅は、達磨様の少室峰にも永平寺の承陽大師の足下でも、或いは我が祖翁岸澤惟安老師の鐵漢楼の元にも咲いた。その拈華(ねんげ)の内容は「本行」(ほんぎょう)であり、今夏首座の本師の参学師である白山老古佛の道でもあった。今夏首座の本師である紅蓮山の当主の示すところの微笑(みしょう)を今の首座は親密に参学し修行し来たれ。

あらかたこのような意味合いでありますが、釈迦牟尼仏の梅つまり涅槃は、ここでは釈迦牟尼仏のお悟りの内容は達磨様はじめ代々受け継がれて、白山老古佛では「本行」という拈華として示された。それを受け継がれた首座の本師である紅蓮山の山主が微笑としてまたそこを示しておられるのである。

さてそれではこの「本行」とはどのような意味合いを持つものであろうか。

「大道十成する時、説法十成す、法藏付屬する時、説法付屬す。拈華のとき拈説法あり、傳衣のとき傳説法あり、このゆゑに諸佛諸祖おなじく威音王以前より、説法に奉覲しきたり、諸佛以前より、説法に本行し来たれるなり」(正法眼蔵無情説法)

「しかあれども水をもて身をきよむるにあらず。佛法によりて、佛法を保任するに、この儀あり、これを洗浄と稱す。佛祖の一身心をしたしく正傳するなり、佛祖の一句子をちかく見聞するなり、佛祖の一光明をあきらかに住持するなり。おほよそ無量無辺の功徳を現成せしむるなり。身心に修行を威儀せしむる、正當恁麼時、すなはち久遠の本行を具足圓成せり。このゆゑに修行の身心本現するなり。」(正法眼蔵洗浄)

「般若波羅蜜多は、是諸法なり、この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不淨、不增不減なり、この般若波羅蜜多の現成せるは、佛薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、參取すべし、供養禮敬する、これ佛薄伽梵に奉覲承事するなり、奉覲承事の佛薄伽梵なり」(正法眼蔵摩訶般若波羅蜜)

と、『正法眼蔵』各巻にお示しであります。

難解なお言葉を並べてしまいましたが、分かりやすく申せば、釈迦牟尼仏も釈迦牟尼仏以前の仏も、その後の仏も、自らの佛性に奉覲承事し本行しているのだと言うことができます。

奉覲承事(ぶごんしょうじ、或いは、ぶごんじょうじ)、お仕えすることです。本行(ほんぎょう)も本来の行(ぎょう)という意味でしょうか。

これだけでは木で鼻をくくったようなことになりますので、最近見聞した事柄を引用させて頂き、分かりやすく説明させて頂きます。

先日、存じ上げているお方でしたが、九十三歳になられる男性の方より突然お電話がありました。その内容は、関西でお暮しでしたが、偉くなったご子息の関係で、亡くなられた奥様のお葬式を東京で行ったとのことでした。

奥様は大阪で八年間ほど病床にあり、その八年間、ご子息の奥様が一週間に数日、新幹線に乗り大阪まで看病にかよわれ、その間、その偉くなったご子息は独りで料理して、東京の家から仕事に出かけたとのことでした。電話口からはご子息とお嫁さんへの感謝の言葉が、九十三歳とは思えぬほど弾んで明るいものでした。

このご家族ではお孫さんも含めて、事あるごとに写経をして、年忌法要の時などに、菩提寺に束になるほどの枚数を納経していたそうです。本当の教育とはこのような家庭教育を言うのではないでしょうか。

「奉覲承事」「本行」というといかにもいかめしく、お仕えするというと儒教のような感覚に捉われますが、九十三歳になられる老爺がご子息をそしてお嫁さんを褒めたたえ、偉くなったお子息もお嫁さんも老親に看護の誠を尽くし、孫たちも自分の「本行」を磨き上げている。家族の中でお互いに仕えあい、自分の仏心にお仕えしているお姿が浮かび上がってまいります。

道元禅師様が言われる「奉覲承事」「本行」と全く一緒にしてはいけないのかもしれませんが、より自身の佛性にお仕えしているお姿と拝察いたしました。

また、龍泉院様で「自未得度先度他」を参禅会の標榜に掲げられて活動なされていると拝読し、奉覲承事(他人に仕えること)が「無我」の修行であり、自己の佛性を開発していく「本行」のお勤めと拝受いたしました。

「参禅会五〇周年記念事業(一)」第五回『在家得度式』報告の中で、杉浦 上太郎氏は◆五〇周年は‶錦の織物〟と題されまして、長くなりますが次のような御文章を上梓されておられます。

「龍泉院参禅会」は、昭和四六年七月二五日、三七歳の椎名老師が八名の方と坐られたことに端を発します。その中に初代代表幹事髙間利介氏がおられました。平成二年からは病気入院された髙間利介氏に代わって小畑節朗氏が同役を引き継がれました。

「入退会自由、会則なし」という極めて門戸の広い自由性がありながら、厳粛な規律性も併せ持つという不思議さが当参禅会の会風であります。まさに『サンガ』といえるでしょう。

参禅会五〇周年の偉業達成の源泉は、比類のない椎名老師の指導力はもとより、お二人の代表幹事の献身的な支えがあったればこそだと思います。

いわば、参禅会は椎名老師と代表幹事が強く太い縦糸となり、歴代参禅会員が横糸となって織り上げた尊い織物のよう思われます。

と、このように「自未得度先度他」の「奉覲承事」と「本行」のお姿を感動的に述べておられます。

それはまた、石井修道先生が「洞山禅師の千百五十回遠忌に想う」の中で述べられている「曹洞禅は納まり返らない禅であり、道元禅師も「八九成」ということばを使われていますが、十という完成された姿ではなく、十をも超えた道的なところに価値を見出すのが曹洞宗の特徴である」とのお言葉にも通ずるものではないかと思うのです。

自分の「本行」にお仕えするということは、まさに際限のない修行であります。ここの処を道元禅師さまは「八九成(はっくじょう)と申されたのではないかと思っています。

椎名老師も「寺の基本は修行であり、(中略)何よりも「行」と「実践」が重んじられ、生活の中に清規を活かして行くことを強調することこそ、曹洞禅の存在理由がある」と締め括っておられます。

本当に、龍泉院様の参禅会も檀家様も、稀有と申し上げてもいい仏縁に恵まれていると申せます。

しかし、個人の自由・利益を最優先とする社会風潮が蔓延している現代社会では、「自未得度先度他」「奉覲承事」「本行」という生き方は極めて理解されにくい価値観だと思うのです。

会報誌『明珠』の中で、龍泉院様においてさえ、幹事・会計のなり手が減り、「現在、参禅会は例会への参加者が、減少」している状況が報告されています。龍泉院様は先進的な参禅会を運営されるがゆえに、抱えなければならない難問でもあると思うのです。

「参禅会のあり方の検討」の中で、小畑代表幹事様が「五〇年でこれまでの参禅会は終わった。これからはゼロから出発し、次の五〇年に向かってのスタートにしたい。それを若い人にお願いしたい」と述べておられます。

龍泉院参禅会の益々の隆昌を祈ると共に、同参禅会が、個人主義に糜爛した日本社会に風穴を開けることを切に願って駄文を終わります。

合掌