「大地有情非情同時成道」に見る両祖の宗乗眼

智源寺専門僧堂 堂長・師家会副会長
高橋信善

※漢文部分にて本来の記法と異なる部分がありますがご了承ください。

第1章

釈迦牟尼仏が菩提樹下において明星を一見され、「大地有情非情同時成道山川草木悉皆成仏」と言われたとのお言葉は、釈迦牟尼仏の成道のお言葉としてあまりにも有名です。

道元禅師も「正法眼藏谿声山色」、「正法眼藏古鏡」、「正法眼藏行持上」、「正法眼藏眼睛」、「正法眼藏發無上心」、「正法眼藏説心説性」、「永平廣録」に二か所、「學道用心集」などで取り上げておられます。

瑩山禅師はそれこそ、「傳光録」の首章、「釋迦牟尼佛章」で釈迦牟尼仏の成道の第一声として取り上げておられます。

釋迦牟尼佛。見テ明星ヲ悟道シテ日ク。 我ト興大地有情。同時成道スト

これらの事柄から両祖様がこの語句を曹洞宗の教義の根幹に置かれたという事が納得できると思います。

しかしながら、古い教典にはこれらの言句は見あたりません。歴史的な流れから説明しますと、釈尊なき後、紀元一世紀ごろから、新しい救済理念としての菩薩行や華厳経典など多くの大乗経典が作られました。

道元禅師も「正法眼蔵辦道話」に於いて「いまわが朝につたはれるところの法華宗、華巌経ともに、大乗の究竟なり」と卓上されています。

正しくは、「大方廣佛保華巌經」といい、「般若経」に次いで現れた、初期大乗経典中の代表的なものです。

その「華巌経」には、

「奇哉!奇哉!大地衆生皆ナ具ス如来ノ智慧徳相ヲ但困テ妄想執着ニ、而不レ能證得スル

とあります。又

「心佛衆生三ニハ無差別所ノ講ズル衆生心ト輿佛心無二無別、本来一體。心即是佛、佛即是心、一切衆生都テ具足ス佛性ヲ

とあります。

時代が大部下りますが、南獄下雲門宗第十世徳山慧遠禅師の法嗣廬山開先寺善暹(せん)禅師章に、

「・・・明星出現時我輿大地有情同時成道・・・」

とあります。

このように、歴史的に見てまいりますと、仏教としての大きな流れの中で大乗仏教としての展開、中国的展開、日本的展開として受け止める所の仏教史的な受け止め方もあろうかと思います。

しかし高祖道元禅師は釈迦牟尼仏には「未説」のお経があるとのお立場です。つまり、釈尊も生身の人間ですから一代で無限の法を説きつくすことは出来なかったとのお立場です。いかなる仏祖であろうとも時所位の制約がありますから、諸法は時所位を借りて現れますので諸法を説きつくすことは出来ないので、釈迦牟尼仏の「未説」の法があると捉えられておられます。

ここの所を「正法眼蔵(三百則)」(「真字正法眼蔵」)の序文で

正法眼藏 大師釋尊已ニ拈擧シ玉ヘリ矣。拈得シ盡スヤ也タ未シヤ。 直ニ得タリ二千一百八十餘歳 法子法孫 近流遠派幾箇萬萬ゴンルオンパイクコマンマン前後三三。諸人要スヤ明メント來由ヲ麼。
其日ソノカミ靈山百寓衆前、世尊拈華瞬目シ迦葉破顔微笑ス。 當時ソノトキ世尊開演シ之ヲノタマワク、吾ニ有リ二正法眼藏涅槃妙心嘱スト 摩訶大迦葉ニ。迦葉ヨリ直下二十八代シテ菩提達磨尊者親シク到リテ少林ニ面壁スル九年、撥艸瞻風シテ得可ヲ付ス髄ヲ。震旦ノ之傳肇デンハジマレリ于之ニ也。六代曹谿得テ青原南獄ヲスグレツヨク、嫡嫡相嗣ンテ正法眼藏ヲ昧サ本来ヲ、祖祖開明スル之ヲ者三百箇、則チ今之レニ有リ・・・

このように道元禅師は釈迦牟尼仏にも拈得し尽くすこと能わざる所の未説の正法眼蔵涅槃妙心があり、しかも覚者となった歴代の師資が「正法眼蔵涅槃妙心」を互いに確認し、その上で正法眼蔵涅槃妙心を伝えてきたとの確信であります。

瑩山禅師も少しも迷うことなく、「傅光録」の首章「釋迦牟尼佛章」を初めとして山禅師に至る師資相承はそれぞれのお言葉は違っても「我ト興大地有情。同時成道スト」の内容を確認したお言葉でありました、と確認されておられるわけです。別の言葉で申し上げれば、玄沙師備禅師の「我と釈迦牟尼仏と同参」と言う事であります。つまり釈迦牟尼仏と同じ境地に至ったということであり、現釈迦牟尼仏であるとの確信であります。

「我輿大地有情同時成道」の語句は歴史的に見れば、後世に作られたお言葉ということができますが、両祖から見れば仏祖の境涯の根幹を成す自内証不変のお言葉という事であります。

このようなお祖師方を両祖と仰ぐことができる私達はこの上ない法幸にあると言えます。

 

出典 曹洞宗師家会「正法」第6号 (平成30年)