道元禅師の禅戒について

師家会副会長・智源寺専門僧堂 堂長
高橋信善

第2章

それでは道元禅師は「戒」と「律」についてどのように考えておられたのでしょうか。順序を追いながら大まかな所を見てまいりたいと思います。

その前に高祖様は二百五十戒を受けておられたとの説もあります。

ある方は、

・・・六祖大師は五祖大師から菩薩戒をさずけられ、二百五十戒はさずかつておられぬ。
高祖みずからは、南都で二百五十戒を受けておられる。その戒牒はいま国宝になっている。御自分ではそのように沙弥戒、菩薩戒のほかに、二百五十戒をおうけになっているにもかかわらず、二百五十戒はおさずけにならない。それにはふかい思召しがあるであろう。・・・

と言われております。ご参考までにご紹介申し上げます。

それでは中国における戒律観から見て参りたいと思います。当然、比丘二百五十戒、比丘尼三百四十八(五百)戒を受けるのが大僧と認められる条件であったと思います。しかし大乗佛教の流れとして「梵網経菩薩戒」が広く受け入れられていた事実も確認できます。それでは「如浄禅師の戒律観」を見てまいりましょう。

(如浄禅師示して云く、)身心悩乱の時、直に須らく菩薩戒の序を黙踊すべし。
道元拝問して云く、菩薩戒の序とは何ぞや。
和尚示して云く、今隆禅師が踊する所の戒の序なり。小人卑賎の輩に親近すること莫れ。(費慶記)

(注)隆禅=天童寺三十世無際了派のもと、竜門佛眼派の嗣書を高祖様に見せてくれた。如浄禅師の頃も天童寺にいた。

如浄禅師の下、天童寺でも「梵網経菩薩戒」が盛んに読まれていたことが分かります。如浄禅師は当然、具足戒・比丘の二百五十戒を受けておられた訳ですが、この当時、大乗菩薩戒もまた授受されていたことが分かります。

先ほどは、六祖大鑑慧能大師が五祖大師から菩薩戒をさずけられ、二百五十戒は受けておられないとありましたが、薬山と高沙弥の問答からも二百五十戒の授受より大切な事柄があると、大乗戒への移行を見ることができます。「五燈会元巻五薬山草」に、

澧洲高沙弥、初めて薬山に参ず。
薬山問う、甚麼の処より来る。
沙弥日く、南巌より来る。
山日く、何処にか去る。
高日く、江陵に受戒し去る。
山日く、受戒して甚麼をか図る。
高日く、生死を免れんことを図る。
山臼く、一人有り、受戒せず、亦生死の免る可き無し、汝還って知るや否や。
高日く、恁麼ならば則ち仏戒何の用ぞ。
山日く、這の沙弥猶お唇歯にくること在り。

このような問答を経て、高沙弥は薬山様の弟子となり、二百五十戒を受けずに菩薩戒を受けた。従って、大僧にはならなかったが、菩薩沙弥として薬山様の嗣法を得た。

中国ではこのような例がしばしばみられるようになっていった。また、如浄禅師の下でも具足戒にこだわらない傾向が明らかになっていった。

「實慶記」には、

堂頭和尚示して曰く、参禅は身心脱落なり。焼香、礼拝、念仏、修懺、看経を用いず、祇管に打坐するのみ。

拝問す。身心脱落とはいかん。
堂頭和尚示して云く、身心脱落とは坐禅なり。祇管に打坐する時、五欲を離れ、五蓋を除くなり。
拝問す。若し五欲を離れ、五蓋を除かば、乃ち教家の所談に同じ。即ち大小両乗の行人たる者か。
堂頭和尚慈誨して云く、佛祖の児孫は、先ず五蓋(貧欲、瞋恚、惛沈睡眠、掉挙悪作、疑(因果業報を疑う)を除き後に六蓋を除く。五蓋に無明蓋を加えて、六蓋と為す。唯、無明蓋のみを除くも、即ち五蓋を除くなり。五蓋は離ると雖も、而も無明未だ離れずんば、則ち未だ佛祖の修証には到らざるなり。
道元便ち拝謝し叉手して白さく、前来未だ今日の和尚の指示の如くなるを聞かず。這裏箇箇の老宿耆年、雲水兄弟、都て知らず、又未だ曾て説かず。今日多幸にも、特に和尚の大慈大悲を蒙り、忽ち未曾聞処を示すを承ること、宿殖の幸いなり。但、五蓋六蓋を除くに、其の秘術ありや、また無きや。
堂頭和尚微笑して云く、儞が向来の作功夫は甚麼とか作す。這箇便ち是れ六蓋を離るるの法なり。佛佛祖祖は階級を待たず、直指単伝して五蓋六蓋を離れ、五欲等をせり。祇管打坐の作功夫、身心脱落し来るは、乃ち五蓋五欲等を離るるの術なり。此の外、都て別事無し、揮て一筒事無し。豈に二に落ち三に落つるものあらんや。道元感激作礼して退く。

更に感動的な如浄禅師の坐禅観が示されます。

佛祖の坐禅は、初発心より、一切の諸の佛法を集めんことを願う。故に坐禅の中に於いて、衆生を忘れず、衆生を捨てず、乃至、昆虫にも常に慈念を給して、書って済度せんことを願い、有らゆる功徳を一切に回向す。是の故に、佛祖は常に欲界に在って坐禅弁道す。欲界の中に於いても、唯瞻部洲のみ最勝の因縁なり。世世に諸の功徳を修して、心の柔腰なるを得ればなり。
道元拝して白さく、作麼生か是れ心の柔輭なることを得ん。
堂頭和尚慈誨して云く、佛佛祖祖の身心脱落を弁肯する、乃ち柔軟心なり。這箇を喚んで佛祖の心印と作す。
道元礼拝九拝す。

そして、

堂頭和尚慈誨して云く、
大宋日本の疑う者の所難は、実に未だ佛法を暁了せざるなり。元子、須らく知るべし、如来の正法は大小両乗の表に出過す。然りと雖も、古佛は慈悲落草して、遂に大乗小乗の授手方便を施したり。元子、須らく知るべし、大乗は七枚の莱餅なり、小乗は三枚の胡餅なり。況や復た佛祖は本より空拳の小児を誑かすもの無きをや。黄葉黄金も、宜しきに随って授手し、拈筋弄匙、空しく光陰を度ること無ければなり。

「知来の正法は大乗小乗の別なし、打坐して身心脱落を弁肯のみ」、ここに如浄禅師の戒律観が明確に表れております。さらに明確に出ているのは次の文、

堂頭和尚慈誨して云く、薬山の高沙弥は、比丘の具足戒を具せざるも、佛祖正伝の佛戒を受けざるには非ず。然うして僧伽梨衣を搭け、鉢多羅器を持す、是れ菩薩沙弥なり。排列の時も菩薩戒の臘に依って、沙弥戒の臘に依らず。此れ乃ち正伝の稟受なり。儞の求法の志操あるは、吾が懽喜とする所なり。洞宗の託する所は、倒、乃ち是れなり。

このような如浄禅師の戒律観を受けて道元禅師は更に一層、菩薩戒の極則を深めてまいります。

 

出典 曹洞宗師家会「正法」第7号 (平成31年)