「大地有情非情同時成道」に見る両祖の宗乗眼

智源寺専門僧堂 堂長・師家会副会長
高橋信善

第3章

高祖様は貴族のお生まれで、外祖父の関白藤原基房から藤原家の再興を期待されたと言われるほどの秀才でありましたが、父母の死別に遭い、貴族としての暮らしや藤原家の統領の可能性を捨てて出家し、天童寺の如浄禅師の下で身心脱落したことは誰でも周知の事であります。しかも中国まで法を求め、興聖寺、永平寺と維持運営するについて、自らに与えられた荘園を売りながら費用に充てたことは「随聞記」の

「・・・我身も田園等を持たる時もありき。亦財宝を領ぜし時もありき。彼の時の身心と此のころ貧ふして衣孟にともしき時とを比するに、当時(いま)の心すぐれたりと覚ゆる、是れ現証なり。」

とある事からも明らかであります。

高祖様は名利を捨てて、しかも身命を顧みずに法を求めてこそ高祖道にたどり着きました。遠孫たる私達が生活のためにのみ寺院に暮らすならば、どうして高祖様太祖様の児孫と名乗れましょうか。

また、泰養寺様のご供養を拝見するに、振鈴は副住職様が走り、典座寮の皆様方は大変なご馳走をご供養するために休みなく働き、寺族の皆様方はお手伝いにそして後かたずけに身を惜しまず働いておられます。

私達が講義に出ている問、或いは研修と言って外出している問、開浴に出ている問、部屋を整え茶道具を整え、あまつさえ随喜寺院でもないのにお絞りまで用意されているとは申し訳ないことです。

寺族の老お母様は私たちが講義に出ている問、亦就寝してから、亦夜参の間に東司を掃除してペーパータオルまで用意して「東司は私がするからと」、私たちに東司の掃除もさせてくれません。これに私たちが甘えているだけでは自分の修行はどうなるのでしょうか。

ご供養をありがたくそのまま受けるという在り方もあると思いますが、自分の徳分を勘案できる人が受けるべきと思います。そうでなければ、徳を失うだけの人間になりはしませんでしょうか。

よくよく考えてみてください、泰養寺様のようなご供養を施す側には中々なれないものです。しかも住職はその気になっても、山内全員を説得できる人はそうそういないのではないでしょうか。曹洞宗の寺院がこのような傾向にあるならば、施しを受ける方にはなっても、施す方にはなれない寺が増えていくという事です。

研修会と言っても有り難そうな講義を聴くことではなく、自分を振り返る機会を頂いているという事です。その点、この泰養寺様の在り方から学ばせていただくことが沢山あるということです。

「正法眼蔵自証三昧」には

たとひ知識にもしたがひ、たとひ経巻にもしたがふ、みなこれ自己にしたがふなり。経巻おのれづから自経巻なり。知識おのれづから自知識なり。しかあれば遍参知識は遍参自己なり、拈百草は拈自己なり、拈万木は拈自己なり。自己はかならず恁麼の功夫なりと参学するなり。この参学に自己を脱落し、自己を契証するなり

とあります。結局自己に徹底的に向き合い、自己に参学しつくして、自己を脱落して、初めて自己を証契するのだと言われているのです。

参学未熟の者が口幅ったいことを申しましたが、高祖様太祖様の児孫を名乗る以上、自己の欲望を見続け、自己を功夫し続けなければならないという事ではないかと思っています。

 

出典 曹洞宗師家会「正法」第6号 (平成30年)